信じる者は美しい
クリス-ウェブ佳子
VOL.6 セルフラバーでいいじゃない


今では当たり前のように使われる”Selfie (セルフィ)”という言葉が初めて登場したのは2002年。今から20年も前のこと。2002年9月13日にネイサン・ホープというオーストラリア人の大学生がオンラインフォーラムに投稿したのが最初だと言われています。

友人の21歳のバースデーパーティーで泥酔したネイサンは、おぼつかない足取りで激しく階段上から転倒。下唇に1cmほどの穴が開く大怪我をしてしまいます。術後、溶解性縫合糸が不快でたまらなかったネイサンはHOPEYというハンドルネームでオンラインフォーラムに縫合された唇の写真を連続投稿。縫合糸についての質問を繰り返しました。そして最後に「写真がぶれててごめんね、セルフィだからさ」と投稿。これが”Selfie”という言葉の誕生秘話になります。

オーストラリアでも日本のように言葉を省略する造語法があり、さらには単語の末尾を”ie”で締めくくる傾向があります。たとえば”Fire Officer (消防士)”は”Firie (ファイアリー)”、”Mushroom (マッシュルーム)”は”Mussie (ムッシー)”、”Barbeque (バーベキュー)”は”Barbie (バービー)”のように。”Self-Portrait Photograph (自画像写真)”、つまり”Selfie”はオーストラリアのスラングというわけなのです。

2014年2月に日本語版がリリースされ、2017年には”インスタ映え”が流行語大賞をとるなど、幅広い年齢層で着実にユーザー数を増やし続けるInstagramとともに、”Selfie”という言葉は日本でも市民権を得ていきます。しかしながら、日本で爆発的にユーザー数が伸びた2016年当時を振り返っても、日本でのセルフィ投稿数は諸外国に比べて圧倒的に少なく、”#selfie”の投稿数が累計3億を超えた2018年当時でも、日本ではセルフィは特定の人たちだけがするナルシスト的行動と見なされていました。

最後の海外渡航、2019年11月にパリを訪れたとき。ルーブル美術館の中庭、ナポレオン広場を歩いているとセルフィスティックを売る男性たちに囲まれました。足早にいらないと断ると、「嘘だろ!?セルフィ撮らないの!?え、いらないの!?パリにいるんだぜ!?」と詰め寄られ、でも確かに周りを見渡すと沢山の人がセルフィスティックや三脚を使って、ルーブル美術館やルーブル・ピラミッドを背景にせっせとセルフィ撮影にいそしんでいました。

そこがパリであろうと、東京であろうと、一人散歩でセルフィスティックを使って自撮りをするほど私は…。私が私自身を好きじゃないというわけではないけれど、もちろん自分のことは好きだけれど…。自意識過剰や自己肯定感が高すぎると思われたくない。自分自身に自信があること、そう見せることは悪いこと?誹謗中傷の対象になりたくない。そもそも周りの目が気になる。それらの不安を乗り越えてセルフィ投稿をする人はきっと、いや絶対にナルシスト。それは以前の私が思っていたことであり、そしてそんな風潮もあったように思えます。

「自分のこと大好きなんだな」って。それって実は批判というよりも、羨ましいの裏返しなのかも。我が家に遊びにやって来る娘たちの友人、喋り出したらとまらに女子高校生たちは、ふと視線をやるとセルフィ撮影に忙しそう。「好きだねぇ」と私が冷やかすと、「自分大好きなんで!全人類がやってることなんで!」と返ってきます。自己愛に富んでいるけれど、自分は他人よりも優れていると思い込むナルシストとは違い、彼女たちは自分たちのことを”Self-Lover”と呼びます。彼女たち曰く、”セルフラバー”とは自分を愛する方法だけでなく、愛される方法も知っている人のことだそう。

だからと言って、今日からせっせとセルフィ投稿をして、自称”セルフラバー”を売りにするわけではないけれど、もう少しやってもいいかな。なんて思う次第です。だって、私も自分のこと大好きなんで!腕をぐっと伸ばして、胸を張って。上の写真もなんなら”Selfie”!